【暁星中学・高等学校】教員との距離が近い規模感が最後まで頑張れる環境を生む
医師志望者が多いことで知られる暁星中学・高等学校。キリスト教精神に基づく人間教育が、医師に求められる高い倫理観につながるのか、例年、高い医学部進学率を維持している。今春、日本医科大学に現役合格した田中泰穂さんと、学年主任として田中さんを6年間見守り続けた森田智史先生に、暁星時代を振り返ってもらった。
世界観や視野を広げてくれた
フランス語教育や宗教教育
数ある学校のなかで暁星を選ばれた理由は教えてください。
田中 小4の頃から、“サッカーが強くて学力も高い学校”というイメージがあり、憧れていました。他校と比較検討するうち、暁星にはフランス語の授業や宗教の時間など特色あるカリキュラムがあることがわかり、第1志望として受験しました。
実際に入学されてみて、印象はいかがでしたか。
田中 入学当初は不安ばかりでした。繰り上げ合格だったこともありますが、小学校からの内部進学組はみな顔見知りでワイワイやっているのに、自分たち中学受験組はその横でシーンとしているだけ…(笑)。「本当にこの輪の中に入っていけるのだろうか」と圧倒されていました。しかも私たちの代はコロナ禍の入学で4・5月は登校できず、6月から分散登校という異例のスタートでした。
森田 例年なら交流行事を通じて自然に学年が混ざるのですが、当時は感染対策を優先せざるを得ず、学校としても生徒同士をどう結びつけるか非常に悩んだ時期でもありました。昼食も自分の席で前を向いて食べる「黙食」を徹底していましたし…。
田中 ただ、それでも席が近い友人たちと話しているうちに自然と輪が広がっていき、中2になる頃にはすっかり馴染んでいました。気がつけば、誰が小学校組かを意識することもなくなっていました。
中3の修学旅行も印象深かったそうですね。
森田 暁星中では修学旅行を「研修旅行」と呼び、広島と京都を訪れます。とくに広島での平和教育は、社会科の教員が原爆の語り部の方たちと直接つながって築き上げてきた伝統的なプログラムになっています。
田中 ご高齢の語り部の方のお話は今でも鮮明に覚えています。教科書で知るのとは全く違う重みがありました。その後の京都での自由行動も含め、研修旅行を通して学年全体の絆が一気に深まった気がします。
フランス語や宗教の授業についてはいかがでしたか。
田中 フランス語は未知の言語で最初は苦労しましたが、新しい世界に触れる楽しさがありました。必修なのは中学までですが、高1まで学び続けました。宗教の授業も、社会問題やボランティア、国際課題について考える内容が多く、毎週楽しみにしていた記憶があります。
森田 暁星の宗教教育は、宗教を押し付けるものではなく、他者への奉仕や社会の関心を育てることを重視した内容になっており、人間教育の一環と位置づけられています。
伸び悩みを感じつつも
高3春まで続けた部活
中高一貫校では先取り学習が一般的ですが、暁星も同じでしょうか。
森田 はい。私が担当する数学も中2までに中学範囲をほぼ終え、中3から高校数学に入っていきます。そのタイミングで授業時間数も増え、習熟度別のクラス編成になります。
田中 中3で一気に難しくなりました(笑)。数学にはずっと苦手意識があり、成績の波も激しく、常に上位クラスと中位クラスを行き来していました。「自分は数学ができないのでは」と悩むことも多かったです。
森田 彼は非常にまじめな生徒でしたが、結果を気にしすぎる面もあります。数学は波を描きながら伸びるものだから、一喜一憂しすぎないようにと繰り返し伝えていましたが…。
田中 驚くほど優秀な友人も多く、焦りもありましたが、それでも同じように伸び悩む仲間と励まし合えるのが男子校の良さだったと思います。
部活動はいかがでしたか。
田中 当初はサッカー部志望でしたが、小6での怪我をきっかけにサッカーを諦め、卓球部に所属しましたが、結果的に高3の春まで続ける学校生活の大きな柱になりました。
森田 卓球部は中高合同で活動しており、先輩後輩の交流も盛んです。
田中 先輩方は本当に面倒見がよく、練習にも何度も付き合ってくださいました。勉強だけでなく、人間関係の面でも大きく成長できました。
友人たちが放つ空気感で
教室が引き締まった
医学部を志すきっかけはあったのでしょうか。
田中 両親が医療系の仕事をしていたことに加え、暁星には医学部志望者が多く集まっており、医学部進学が自然な選択肢として身近だったことが大きかったと思います。
森田 学校として医学部進学を推すことはありません。OB講演や職業体験などを通じて、幅広い進路意識を育てることには力を入れています。
田中 病院での職業体験で、医師の方々の患者さんへの接し方を間近で見て、医師としての将来像が明確になったのは大きかったと思います。
高校でも多彩な活動をなさったとお聞きしています。
田中 柔道の黒帯を取得する朝稽古に参加したり、フランス語劇に挑戦したりしました。部活と合わせて毎日が非常に忙しかったですが、その経験が自分を鍛えてくれました。
受験時期の学校の雰囲気はどのようなものでしたか。
田中 高2後半から空気が大きく変わりました。とくに東大をめざす友人たちの存在は大きく、彼らが誰よりも危機感を持って勉強する姿に強く刺激を受けました。彼らが発する無言の空気で教室全体が引き締まる、そんな雰囲気がありました。
森田 教員側が管理しなくても、生徒自身が学習環境を作り上げることができる学年でした。非常に成熟した受験集団だったと思います。
本番では苦戦したものの
恩師との対話で“逆転劇”に
高3での医学部受験対策はどのような形で進めていくのですか。
森田 高3春には主要教科の履修が終わり、以後は演習中心になります。医学部志望者に対しては、志望理由書の書き方や面接指導を個別に行うことになります。
田中 国語の先生には志望理由書を何度も添削していただき「なぜ医師になりたいのか」を深く掘り下げることができました。校内で実施される予備校の模擬面接でも、本番さながらの緊張感を経験できました。
受験本番はいかがでしたか。
田中 前半の入試が思うように行かず不合格が続きました。周囲の友人たちの合格を聞くたびに焦り、自信を失っていきました。人生で最も苦しい時期だったと思います。
森田 彼の問題は学力ではなくメンタルでした。そこで学校に呼び、1時間以上じっくり話をしました。受験についての技術的な話ではなく、6年間の学校生活や仲間との思い出を振り返ったのです。
田中 先生と話しているうち、「自分はこの6年間努力を積み重ねてきた」という実感が戻ってきました。受験への恐怖が薄れ、ようやく自分を取り戻せた感覚がありました。
そして日本医科大学の後期入試を迎えたわけですね。
田中 本番は驚くほど落ち着いていました。面接でも学校で練習したように自然に言葉が出てきました。合格通知を受け取ったときは、家族と抱き合って喜んだほどです。
森田 彼の担任になったことがないにも関わらずそんな突っ込んだ話ができたのは、生徒一人ひとりを深く理解できる1学年約170人という規模があったからです。この規模感は本校の大きな強みといえます。
暁星での6年間は今どのような形で役立っていますか。
田中 大学に入って改めて、フランス語教育や宗教教育の価値を実感しています。異文化理解や奉仕の精神は、これから医師として生きる上で欠かせないものであり、その意味では暁星での教育と現在の学びが1本につながっているように感じています。繰り上げ合格からはじまった6年間でしたが、仲間と切磋琢磨し、先生方に支えられながら成長できた暁星での経験は、これからの人生の土台になると確信しています。
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